普代の伝説2「割沢鉄山」

撮影日 2018/8/18
撮影場所 割沢鉄山跡(萩牛地区)
コメント 鉄山を 今に伝える 染めがあり

普代の伝説シリーズ、2回目です。
萩牛(はぎゅう)地区には、「割沢(わりさわ)鉄山」という鉄山がありました。

普代村や田野畑村、野田村にあった鉄山は寛政年間(1789〜1800年)に開発され、それら5つの鉄山は“野田5カ鉄山”と 呼ばれました。鉄は秋田藩や弘前藩のほか仙台藩や水戸藩にも移出され、南部鉄の名声を高めたと言います。割沢鉄山では年間約400トンの鉄を生産していたそうです。


普代村元村地区から萩牛地区に至る道路の傍らに、割沢鉄山で働き亡くなった坑夫たちを偲ぶ供養塔が建っていて、右側面に「割沢御鉄山」と刻まれてあります。

過酷な労働環境下の坑夫たちによる蜂起は、有名な三閉伊(さんへい)一揆(1847・1853年)の引き金になったとも言われています。

さて、坑夫たちは沢水を利用した風呂で一日の疲れを落としていました。手ぬぐいは、独特の色に染まり、これが虫除けにも効果があるとして、鉄反応による独特の鈍い色味とともに珍重されたと言います。

この話をもとに、萩牛地区のお母さんたちが染め物として現在に復活させたのが「鉄山染」です。独特の深みのある渋い色合いは、老若男女を問わず、和装・洋装も問いません。萩牛地区の工房で、沢水を使って一枚一枚、手作業でストールなどに染めています。


コットンのストール(下)とシルクのストール(その下)。

商品は、ふだいのアンテナショップ「あいで」や国民宿舎「くろさき荘」でお買い求めいただけます。

鉄山染について

また、「鉄山染」の体験もできますよ♪

割沢鉄山跡は、三陸ジオパークジオサイトにもなっています。跡地や染め物体験へ足を運んで見てはいかがですか。

<地図>

ぶらふだいのトップへ戻る