普代の伝説3「鵜鳥神社」

撮影日 2018/8/21
撮影場所 鵜鳥神社
コメント 鵜鳥神社で義経伝説に思い馳せ

普代の伝説シリーズ、3回目です。

「平泉で自害したのは実は影武者で、義経自身は北海道に向かい生き延びた」とするいわゆる“義経北行伝説”。普代村にもこの伝説にまつわる話が伝え残されています。

お供とともに平泉を脱出した源義経は北へ向かい、力持海岸から普代入りしたという説があります。

義経一行が海岸より約4キロメートルほど山道に入ると、道の向こうから杖(つえ)を持った10歳くらいの子どもが、牛の後ろからついてくるのに会いました。一行の一人が子どもに近寄り「おい童子(どうじ=子どものこと)この村は何と申すところか」と尋ねました。すると子どもは、持っていた杖で土に「不行道」(この先に道はないという意味)と書いて知らせ、去って行ったそうです。そして義経一行はお供一人を残し、蝦夷地(えぞち)へ出発するまでの間に金色の鵜を見た義経が、天下泰平(世の中がよく治まり、穏やかな様子)、海上安全などを祈願しました。その後、神のおつげを聞いた義経は、山頂に鵜鳥大明神を祀(まつ)ったと言われています。現在、鵜鳥神社には30分ほど山を歩いた海抜424メートルに奥宮(本殿)、入口側には遥拝殿(ようはいでん)があります。奥宮には、途中にある嘉永2年(1849年)建設の石段を133段登り向かいます。
また、国の重要無形民俗文化財に平成27年(2015年)3月に指定された鵜鳥(うのとり)神楽は、神社境内の神楽殿で旧暦4月8日(5月中旬)に行われる鵜鳥神社例大祭や村内外のイベントで、鵜鳥(うのとり)神楽が勇壮な舞を披露しています。

“義経北行伝説”を思い起こしながら、鵜鳥神社を訪れてみてはいかがですか。
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