普代石碑巡り3

撮影日 2017/06/13
撮影場所 萩生(はぎゅう)地区割沢(わりさわ)
コメント 踊躍供羪塔(ようやくくようとう)

普代の石碑を巡りシリーズ、第3回(第2回はこちら)は

踊躍供羪塔(ようやくくようとう)」です。

踊躍とは:喜んで、おどり上がること。とびはねること。

供羪とは:供養の意味。養と羪は同じ意味であり、養の異体字。


 

この塔が建てられた背景には諸説あり、最も有力とされている説が

石碑の中に“太夫”という文字が彫られていることから、芸能に関係あるものと解し、

遊芸人の一行を割沢鉄山に呼んで労務者の慰安を図ったのを記念して建立したものであるという説です。

この塔は大変珍しく貴重な存在とのことで、塔には次のような文字がみられます。

 


文政二年己卯七月十六日

※文政2年は西暦1819年

※己卯(つちのと う、きぼう)は干支の一つで、干支の組み合わせの16番目。西暦年を60で割って19が余る年が己卯の年となります。

踊躍供羪塔

割沢御鉄山

太夫

佐兵衛 万介

己之七 三太

世話人

七太郎 寅松

定吉 力松

市松 岩松

石之介 十右工門

徳蔵 千太

佐⬜︎太

※⬜︎は解読不能


割沢鉄山は、享保2年(1717年)から経営されました。

その後、この鉄山は1815年から盛岡藩によって運営され、

藩を代表する鉄山として年間約400トンの鉄を生産していました。

そして割沢鉄山といえば「鉄山染」。

その昔、鉄山で働く人夫たちは沢水を利用した風呂で一日の疲れを癒していました。

すると風呂で使う手ぬぐいは独特の色に染まり

これが虫除けにも効果があるとして珍重されたといいます。

この染めを現代に復活させたのが「鉄山染」です。

普代村の特産品である「鉄山染」の原点を知ることのできる

貴重な石碑、ぜひ一度ご覧ください。

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