普代石碑巡り13

撮影日 春・夏・秋
撮影場所 鵜鳥神社(うのとりじんじゃ)
コメント 石碑巡りシリーズ

およそ千年の昔から、普代村の海抜424メートルの卯子酉山(うねとりさん)山頂に鎮座する古社

鵜鳥神社(うのとりじんじゃ)。

うねどり様の呼び名で知られ、大漁と安全祈願、縁結び、安産の神様として古くから信仰されています。

山頂の鵜鳥神社本殿への参拝は、ふもとの遥拝殿から長く険しい卯子酉山の参道を登らなけらばいけません。

 

今回の石碑巡りでは、この鵜鳥神社にある石碑・石像・祠等をいくつか紹介したいと思います。

 

「北緯四十度」昭和59年4月8日建立

普代村は北緯40度線の日本最東端の村になります。

北緯40度は秋田、岩手を通ってローマ、ニューヨーク、北京などの主要な都市を通り小麦、米の生産が行われている地帯が分布している緯度になります。

 

「明治百年記念」昭和41年建立

明治百年記念は手洗石として使用されており、日本の元号が慶応から明治に改元された「明治元年9月8日(1868年10月23日)」から100年となるのを記念して建立されたものと思われます。

100周年には日本政府主催の式典、明治百年記念式典が、昭和43年10月23日挙行されました。

 

 

子康神神殿一宇(こやすがみしんでんいちう)」昭和57年元旦建立

鵜鳥神社の遥拝殿近くに祀られている安産・子育ての神様です。

祀られているのは「枝宮子康神社(えだみやこやすじんじゃ)」。

「枝宮」とは、本社に付属し、その祭神と縁の深い神を祭った社のことをいいます。

「子康神社」は全国的には、「子安神社」と表記され、安産の神・子育ての神として尊崇されています。

神殿:神を祀る建物

一宇:一棟の建物

 

 

神道改修工事寄附しんどうかいしゅうこうじきふ)」大正14年旧4月建立

最初の参道入り口にある神道改修工事寄附。

参道を少し進むと「神道橋」と文字が刻まれた橋があります。

しかし、この神道改修工事寄附は、この神道橋の改修工事を記念して寄附されたものなのか、本殿までの参道すべてを指して寄附されたのかはわかりません。

 

 

薬師如来石像(やくしにょらいせきぞう)」建立年不詳

写真の石の祠は、昭和60年に新たに奉納されたものです。

祠中央にある小さな石像が薬師如来で、薬師瑠璃光如来(やくしるりこうにょらい)・大医王仏(だいいおうぶつ)とも称されます。

杉の根元から湧き出る清水を溜める中央の凹んだ置き石があり、この水で目を洗うと眼病が治ると伝えられています。

薬師如来は修行中に人の生存をまっとうし、衣食住の生活を安定し病苦や不具などを払いました。このことから、万病を癒し、人の生命を延ばし、医薬をつかさどる仏として早くから信仰されました。

 

 

石壇供養塔いしだんくようとう)」嘉永2年(1849年)4月8日建立

本殿への道中、頂上近くに建設された133段の石段。

133段の石段を登った先にある「石壇供養塔」。

堅牢で永く人々の使用に耐えられることを記念してこの石壇供養塔が建立されたとのこと。

 

 

手洗石(てあらいいし)」建立年不詳

石壇供養塔を過ぎた先にあるのが、本殿前に造られた「手洗石」です。

この手洗石にも文字が彫られていますが、風化もしており解読することはできませんでした。ですが、手洗石としての役割は果たしているようで、雨が降ると雨水が溜まります。

 

 

お岬様(おさきさま)」

本殿裏へ回り、さらに奥へ100メートルほど足をのばすと、この山の突端に「お岬様(おさきさま)」と呼ばれる石の祠があり、眼下に太平洋を展望することができます。

ここから遥かに野田村の和佐羅比山(わさらびやま)が望むことができ、久慈市や野田村からの参拝者の人たちで、この場所から和佐羅山大権現を遥拝している人もいるそうです。

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